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読書のおともに

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スポーツを通して感じる超自然的な何か『神様は返事を書かない』(阿部珠樹)

神様は返事を書かない(阿部珠樹)

全600ページ以上にわたる、スポーツ・ノンフィクションだ。読者をあっという間にその世界へと引き込む表現力の豊かさと、取材に基づく丁寧なストーリーは、対策であるにもかかわらず一気読みしてしまう。生々しい体感とリズミックな文体が、緊張感を持って読む者を物語の中へと誘う。登場する人物の繊細な内面の動きも、読者に追体験させてくれる一冊だ。

テッド・ウィリアムス、金田正一、イチロー、長崎宏子、北の湖、三沢光晴など、偉大な成果を残した多くのアスリートや力士、格闘家についてはもちろん、競馬での人と馬の関わりなどが取り上げられている。最終章にある野茂英雄との長いインタビューは、特に読む者に考えさせる所が多い。

エピローグで著者は、これまでの取材活動を振り返りこう述べる。「ごく稀に、『ここには人間以外の何かがいる』と感じられる試合に出くわすことがある」。そして、スポーツを見て人が感動するのは、人の根源的な部分と、そういったものとは切り離された「超自然的」な何かを感じるときだと著者は述べる。


書籍名:神様は返事を書かない
著者名:阿部珠樹
出版社:文藝春秋

 

豊富なカラー図版で「城」の歴史をたどる『描かれた中世城郭』(竹井英文・中澤克昭・新谷和之)

描かれた中世城郭(竹井英文・中澤克昭・新谷和之編)

中世の日本において、城は単なる強固な要塞ではなく、その時代の技術や戦術の変遷を映す歴史的文化財だった。『描かれた中世城郭』は、中世に生きた人々がどのように城を観て、想像し、絵画に表したのかを詳しく解説している。

絵画史料は、鮮やかなカラー図版で盛り込まれており、読者は中世の城郭が時の流れの中でどのように変化し、発展していったのかを肌で感じ取ることができる。特に注目されるのは、中世の防衛構造が戦争術の変遷にどう応じて進化していったかという視点だ。

例えば、鎌倉時代という時期を振り返ると、武道の中心には騎射という技術があり、戦闘において武士がいかに馬上から的確に矢を放つかが勝利の鍵を握っていた。そのため、当時の城門や木戸は防衛の要として重要視され、敵の騎馬隊の突撃を防ぐための重要な施設だった。その様子は『粉河寺縁起』や『一遍聖絵』といった絵巻に描写されており、2階建ての矢倉門が守勢にとって重要であったことがうかがえる。

また室町時代については、一色氏の館や、京都近郊の寺の門前など、当時の重要な施設の防衛体制についても図版入りで詳しく説明されている。

現在一般的な「城=天守閣」は、戦国時代以降の城郭に対する認識だ。本書はそれよりも前の時代に目を向け、古城の実態を明らかにすることに焦点を当てている。歴史という長い時の流れの中で、城郭がどのような役割を果たし、その姿をどのように変えていったのか、歴史好きには嬉しい一冊だ。


書籍名:描かれた中世城郭
著者名:竹井英文中澤克昭新谷和之
出版社:吉川弘文館

 

「合成生物学」の今とこれからを見渡すための一冊『我々は生命を創れるのか』(藤田達生)

我々は生命を創れるのか(藤田達生)

書名にもなっている「我々は生命を創れるのか」という問いへの答えは、生物を本質的な意味で「創出」する段階には至っていないという意味でNOだ。単なる模倣にとどまらない、全く新しい生命体を生み出すことは、科学の現状では夢物語に近い。合成生物学という名称は、研究のための「資金」を得るための戦略的なネーミングとして用いられる。しかし、実利を社会にもたらすためのハードルは限りなく高く、研究費獲得のために「将来的な可能性」が強調されることも少なくない。

絶滅種の再現はもちろん、人間の複製となるとなおさらのことだ。ただし、成果がゼロということではない。単純な生命体である細菌や人間の器官の一部など、類似の生物的構造を構築には見込みがあり、その兆しは見えている。本書が解き明かそうとしているのは、そのようなシンプルな生命体の模倣を通じて合成生物学が目指す地平である。実際に実験室で行われている「人工細胞の作り方」にも焦点が当てられており、好奇心をくすぐる。

細胞の模倣には、細胞膜の構成と酷似しているリン脂質二重膜を利用しているという。この人工の袋(ベシクル)に生命の基本成分を封じ込めることで、さながら微小な工場のようにタンパク質を合成させる段階にまでこぎつけている。もしもDNAの複製、細胞分裂のさらなる能力と、ATP(アデノシン三リン酸)を利用した生命維持の反応、細胞の成長といった条件を満たすことができれば、より生物に近い存在へと進化するという。

一方で、その過程でおきるさまざまな問題の解決は、とてつもない難題らしい。例えば、外部環境への適応能力を持つ生物の特性は、いまだに大きな壁となっている。単に大腸菌などの中身をベシクルに移し変えただけでは、生物として機能するにはほど遠い。また、安全性の観点から人体への応用には厳しい制限と、従来の倫理観との折り合いも考える必要がある。

生命創造の壮大なテーマのもと、科学者たちは試行錯誤を重ねる。ATPという生命活動に必要不可欠な物質を合成すること自体が困難であり、その起源にまつわる謎の解明も求められている。


書籍名:我々は生命を創れるのか
著者名:藤崎慎吾
出版社:講談社(講談社ブルーバックス)

 

世帯年収1000万円のリアルを数字を通して検証する一冊『世帯年収1000万円』(加藤梨里)

世帯年収1000万円(加藤梨里)

世間で「パワーカップル」と称されることも少なくない、収入総額が1000万円以上の共稼ぎ家庭。そいった世帯が実際にどのような生活の実態を、数字に基づき解明している。特に住宅費、教育費、生活費を中心に分析しているのが興味深い。

夫婦それぞれが、平均年収とされる500万円にちかい給与所得を得ており、世帯収入1000万円という家庭は少なくない。そんな家庭でさえ、生計を立てる上で困難を抱えている状態だという。

特に大都市圏で就業していると、住宅価格が高く、共働きながらも住居費に頭を悩ます家庭が少なくない。さらに物価の上昇や、税金、社会保険料の負担増は家計に大きな圧力を与えている。加えて、子供がいる家庭では保育費用も負担が大きい。教育費に関する公的支援の恩恵についても、その支援を受けるための所得制限があり、世帯年収1000万円は支援対象になるかならないかのギリギリのラインであると、本書では指摘されている。

実際の生活に根ざしたさまざまな数字の分析を通じて、高収入と評される家庭が本当に経済的なゆとりを持っているのかに疑問を投げかける一冊だ。


書籍名:世帯年収1000万円
著者名:加藤梨里
出版社:新潮社(新潮新書)

 

生命科学と進化の歴史を塗り替えるノンフィクション的フィクション『ドードー鳥と孤独鳥』(川端裕人)

ドードー鳥と孤独鳥(川端裕人)

すでに絶滅した鳥を通して、人間と自然、そして宇宙についての深い洞察を試みた挑戦的な作品だ。

主人公である望月環は、新聞社の科学部で勤務する記者。終わりを迎えた種に対してだけでなく、絶滅の縁に立つ生物全般に深い関心を抱いている。これは、絶滅生物に対する研究を遺した父親や、幼なじみである佐川景那の存在が影響している。主人公は、自らもドードー鳥や孤独鳥に関する調査を独力で進めていく。

物語は、環の調査活動や取材の過程、そして佐川景那との関係が複雑に絡み合いながら進行する。ドードー鳥や孤独鳥にまつわる情報は、図版を含む研究成果として作品に織り込まれており、これらの生物が持つ奥深い魅力に読者を引き込んでいく。

著者の川端裕人は、過去に『ドードーをめぐる堂々めぐり』という労作を発表している。そのため、小説に描かれる情報は緻密かつ豊富で、ドードー鳥関連の新しい発見を含む、多くの知識が盛り込まれている。

情報のすべてが単なるデータにとどまらず、物語の主要なテーマである自己探求という側面と共鳴し、生物と人間、そして存在の孤独について深く考えさせる。過去から現代に至るまでのさまざまな災害体験も物語に取り入れられており、リアリティを増している。


書籍名:ドードー鳥と孤独鳥
著者名:川端裕人
出版社:国書刊行会