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ナウマンゾウの発見者としても知られる地質学者・エドムント・ナウマンの足跡をたどる一冊『地質学者ナウマン伝』(矢島道子)

地質学者ナウマン伝(矢島道子)

幕末から明治期にかけて、日本は積極的に西洋の科学を取り入れた。それを土台にした科学教育の成果が、今の日本人ノーベル賞受賞者数につながっているとされる。

明治政府は、特に科学者や技術者を好待遇で呼び寄せ、彼らは「お雇い外国人」と呼ばれていた。ドイツ国籍のエドムント・ナウマン(1854~1927年)も、その一人だ。当時、まだ20歳という若さで横浜の地を踏んだ。

エドムント・ナウマンは地質学者である。地質学は、地球の地層や岩石を研究する科学分野であり、その分析結果は地質図としてまとめられる。より正確な地質図は、石炭などの鉱物資源探査や土木建設計画など、多岐にわたり利用できる。国家の近代化は、これなしには考えられない。

ナウマンは日本に着いてから4年間、主に東京大学で地質学の講義を行った。1879年、日本固有の地質図の作成を目的とした地質調査所が設立されると、彼は地質課技師長として任命される。そして、職員を引き連れ日本各地を精力的に調査した。その調査は、北海道など一部を除く全国を対象とし、その成果として日本初の詳細な地質図が完成した。これは1885年のベルリンで開催された万国地質学会議で発表され、現代の地質図と比較しても、高い精度を誇る。

契約満了後ドイツへ帰国したナウマンは、研究成果を著書『日本群島の構造と起源について』として残した。また、糸魚川静岡構造線と呼ばれるようになる断層地形に特に注目しており、これをフォッサマグナ(ラテン語で「大きな窪地(くぼち)」の意味)と命名した。

また、先史時代からの日本に生息するゾウの研究においても功績を残す。彼が研究した4種のゾウの内1種が新たな種であることが明らかとなり、ナウマンゾウと名付けられた。

これほどの功績を残しながら、日本でのナウマンの評判は芳しくなかった。英語を話せなかったり、母国ドイツで日本に対するネガティブな内容の講演したりしたからだという。しかし著者は、ナウマンの孫をドイツで直接訪ねるなど取材を重ね、多くの悪評が誤解に基づいていることを明らかにし、彼の真の業績と生涯を読者に教えてくれている。


書籍名:地質学者ナウマン伝
著者名:矢島道子
出版社:朝日新聞出版(朝日選書)