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古事記と日本書紀の相違点から出雲神話を読み直す一冊『出雲神話論』(三浦佑之)

出雲神話論(三浦佑之)

古事記と日本書紀は、しばしば「記紀」として一括りにされがちだが、その内容は必ずしも一致しない。古事記に数多く登場する出雲神話が、日本書紀にはほとんど見当たらないのだ。本書は、古事記と日本書紀は「別物」だとし、スサノヲやオホナムジ(オオクニヌシ)をめぐる出雲神話について論じている。また、松江市に鎮座する神魂神社に注目した論考も面白い。

神魂神社に祀られる神は、一般にはイザナミとして知られているが、著者はカムムスヒ(神産巣日神)が祀られているのではないかと推察する。この神は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)や高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と共に古事記の序盤で登場し、宇宙の創造に関与する造化の三神として位置づけられている。神々の祖とされる存在でありながら、出雲地方では地元の神々を支援する役割を担っている。また、出雲国風土記においては、神魂命として言及されているのが興味深い。天孫族とされるカムムスヒが、実は出雲族の祖神であり出雲神話の成立土台とする論考はエキサイティングだ。

そして、著者の興味はさらに広がっていく。佐太神社はかつて佐太大神のみを祀る神社であったが、現在では多くの神が合祀されているのはなぜか。国引き神話で知られる八束水臣津野命(やつかみづおみつののみこと)が、日本書紀に登場しないのはなぜか。出雲大社の建設に用いられる大柱は、天孫族ではなく出雲族の伝統工芸に由来するのではないか、などなど。

わたしたちが神話に惹かれるのは、神話の中に歴史的事実が含まれているという期待にある。しかし、実際のところ、その歴史的真実を突き止めることは難しい。権力者は自らの正統性を記録する一方で、敗者の記録を抹消する。それを「敗者の運命」と割り切ることもできるが、日本の起源や歴史に興味を持つ身としてはモヤモヤが残るのも事実である。

記録を隠蔽することや、あえて省略することで、信仰心や神秘的な雰囲気は増す。出雲族がヤマトに支配され、徐々に歴史の表舞台から消えていく様を追体験しているような気分になった。


書籍名:出雲神話論
著者名:三浦佑之
出版社:講談社