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読書のおともに

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奇想天外なストーリーを存分に楽しめるモフモフ・ファンタジー『猫君』(畠中恵)

猫君(畠中恵)

伝承によれば、長命を全うした猫は妖怪へと姿を変える。20年の歳月を経ると尻尾が分かれ、人間の言葉を話し、人間の姿へと変貌する能力を手にする。人はそれを「猫又」と呼ぶ。

新参者の猫又は、変身術や文字の読み書き、猫又として生き抜くためのあれこれをまだマスターしていない。そんな猫又たちの学び舎である「猫宿」が、江戸城の内部にひそかに存在している。ここで、未熟な猫又たちは、様々なスキルを教える師匠の元、妖怪として一人前になるべく日々勉強に励んでいる。

江戸時代、猫又たちは独自のコミュニティを形成していた。それは「陣地」と呼ばれ、6つの地区に分かれていた。陣地はそれぞれが独特の特徴を持ち、その力関係は微妙なバランスで保たれている。男猫又の陣地は4つ、女猫又の陣地は2つ。そのどれもが、表面的には平穏を装いながら、隙あらば自分たちの陣地を広げようと画策していた。そんな中、今年は24匹の新米猫又が「猫宿」でともに学ぶことになった。

ファンタジーの物語性は、魔法や妖術といった派手なエフェクトに注目されがちだが、その本質は登場人物たちの絆や、共感を生む協力関係にある。『猫君』でも、初めは出身陣地の違いから対抗意識むき出しだった新米猫又たちが、鮮やかな茶虎でオッドアイの雄猫・みかんを中心に、団結して成長していく様子が魅力的に描かれている。

笑い、涙、感動、そして猫たちの魅力である愛くるしさや気ままさ、そしてモフモフ感まで味わえる、なんとも愛おしい物語だ。


書籍名:猫君
著者名:畠中恵
出版社:集英社(集英社文庫)

 

絵巻をめぐる歴史の謎解きを楽しめる一冊『酒天童子絵巻の謎』(鈴木哲雄)

酒天童子絵巻の謎(鈴木哲雄)

大江山に住み、度々都に現れ人々をさらった酒天童子。朝廷の命によって、源頼光とその配下が山伏の振りをしてそのアジトに入り込み、寝こみを襲い首を打ち取ったという説話は有名だ。

その説話をもとに描かれた「酒天童子絵巻」は、かつて小林一三(阪急電鉄創始者)が所有していたが、現在は大阪の逸翁美術館に保管されている。しかし明治初期には、酒天童子とは無縁に見える香取神宮(千葉県香取市)の社家が所有していたという。また、その制作は千葉氏の一族によるものと推測されている。

しかし、なぜ関東に居を置く千葉氏がこの絵巻を作成し、大切に伝えてたのか。

武士が、その家の起こりや正当性を主張するために、鎧や刀剣を子孫に伝えていたことはよく知られている。武田氏の「盾無鎧」は、その代表格でもある。著者は、「酒天童子絵巻」も千葉氏が自らの正当性を示すために制作・伝世させたと主張する。これは、東国武士研究に新しい視点が加えられたことにもなる。

近世や明治時代の文献を基にして、絵巻がどのように成立し始祖伝承に組み込まれていったのかについての考察は、とてもスリリングな謎解きのようだ。また、下総・香取地域の商人が江戸や土浦の国学者たちと情報交換し、絵巻の価値を評価していた様子も描き出されている。商人たちの手で、文化や学問の交流が行われていたことも、本書ではうかがい知ることができる。


書籍名:酒天童子絵巻の謎
著者名:鈴木哲雄
出版社:岩波書店

 

天下人の知略が詰まった「藩」の成立と、その役割を学べる一冊『藩とは何か』(藤田達生)

藩とは何か(藤田達生)

「藩」という言葉は、学校の歴史や社会の授業などで当たり前のように使われている。しかし、歴史的には江戸時代でも余り一般的ではなかったことは意外と知られていない。その時代を生きた人々は自らの属する集団のことを「国」あるいは「家中」と称していた。彼らにとっての身分や社会的なつながりは、後の時代から見ると私たちが思い描く「藩」とは異なる構造を持っていた。

一般的に「藩」という語句が広まり始めたのは、明治政府による廃藩置県が行われた明治4年以降であるという。「藩」とそこから派生した「幕藩体制」には、どんな特色や役割があったのだろうか。

戦乱に明け暮れた時代、大名たちは自らの実力で勢力を拡大し、領地・領民を武力と財力で支配下に置いた。そして、時間をかけて地域社会に深く根付いた「国」をつくった。しかし、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康は、各地に根差した勢力による下剋上の機会を奪うため、国替という手法を策定した。地元に根強い支持を持つ大名や地侍たちを、縁も所縁もなく、生まれも育ちも異なる土地へ強制的に移してしまうことで、彼らを根無し草に変え、支配を容易にしたのだ。

本書では、国替が藩誕生の絶対条件であったとし、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の治世で国替を一度も体験していない大名は稀だったと指摘する。領地や領民、そして城郭を、天下人からの預かりものであることを常に大名たちに意識させた。そして、不適格と判断された大名には改易や減封が下され、既得権を無効化した。この強権的な法の支配によって、天下泰平の実現を目指したのだ。

「藩」誕生の黎明期を詳細に分析し、地方自治の歴史的展開を追っている『藩とは何か』。幕府による各藩への統制方法、城郭や城下町の形成などにも焦点を当てており、豊富な具体例を交えながら、教科書で学んでいた歴史を補完してくる一冊だ。


書籍名:藩とは何か
著者名:藤田達生
出版社:中央公論新社(中公新書)

 

DNA鑑定が明らかにする新しい歴史の側面を楽しむ一冊『王家の遺伝子』(石浦章一)

王家の遺伝子(石浦章一)

今、DNA鑑定技術は広く利用されており、犯罪捜査における重要な方法の一つでもある。そして、親子関係の確認や遺伝子疾患の調査などにも利用され、過去の歴史的事実を裏付ける手段としても。その価値が認められている。

本書は、そうしたDNA鑑定の技術を駆使して、イギリス王室をはじめとする歴史上の人物らの遺骨に関する研究成果をまとめた一冊だ。この研究によって、従来の文献記録とは異なる新たな歴史の一幕が浮かび上がる。

リチャード三世という名に聞き覚えがある人も多いはずだ。1485年8月にイングランドの王座を巡る戦いにおいて敗北し、32歳の若さで死亡した。そして、その約80年後に誕生したシェイクスピアによって書かれた『リチャード三世』により、彼は兄や妻、甥といった身内を容赦なく殺害し、自らの権力欲のために手段を選ばない極悪非道な君主として描かれた。

リチャード三世の遺骨は元々、教会に埋められていたものの、その教会が崩壊してしまい、長い時の中で忘れ去られてしまった。しかし、2012年になって、王の名誉を回復しようとする人々が古い地図を頼りにその教会跡を特定し、レスター市内の駐車場で発掘作業が行われた。すると、そこからは頭蓋骨に損傷が見られる遺骨が発掘されたのである。

その遺骨から取り出されたDNAサンプルは、リチャード三世の姉アンの直系女子二人のDNAと比較されたほか、リチャード三世と同じ男系の祖先を持つ人物五人のDNAとも比較された。その比較分析によって、遺骨がアンと同じ母を共有する人物、すなわちリチャード三世本人であることが確定した。だが、一方で男系子孫に関してはそのY染色体上のDNAがリチャード三世の遺伝情報と一致せず、彼らの血筋には公然と記録されている家系図にはない他の男性の遺伝情報が混ざっている事実が浮き彫りにされた。

ツタンカーメンや、暗殺されたことで知られるラメセス三世など、古代エジプトのミイラたちからもDNAが抽出・分析されている。その結果として、ツタンカーメンが父アクエンアテンと彼の姉妹との間に生まれた子であるという驚くべき事実が明らかになった。

一方で、DNA解析がすべてを教えてくれるわけではない。著者は、DNAが語ることのできる範囲とそうでない範囲を明確に区分し、その重要性を訴えている。そして、紹介されている様々なケースは、その区分を理解する上での実例でもある。

物語としての歴史は勝者が作る。だが、事実としての歴史はDNA鑑定を含む客観的な科学調査や地道な文献調査が明らかにしてくれる。


書籍名:王家の遺伝子
著者名:石浦章一
出版社:講談社(講談社ブルーバックス)

 

記録の少ない平安時代前期、「源氏物語」の下地になる歴史的知識をさらっと学べる一冊『謎の平安前期』(榎村寛之)

謎の平安前期(榎村寛之)

日本の古代史について考えると、奈良時代の様子は正倉院文書という豊富な史料のおかげで詳細に理解することができる。これらの文書は、奈良時代の政治、経済、文化に関する貴重な情報を多く含むため、歴史学者や研究者にとって非常に価値が高いとされている。

一方で、平安時代、特にその前半期には、奈良時代のような充実した記録が残されておらず、その時代の生活や文化についての情報が乏しいため、不明な点が多く存在しているという。

例えば、奈良時代の女性の服装は、高松塚古墳に描かれた壁画から中国風の衣装であったことが伺える。しかし、平安時代にはいつの間にか、日本独自の十二単という華やかな女房装束に変化している。その変遷の経緯や理由について、はっきりとした記録がなく、歴史の謎の一つとなっている。

『謎の平安前期』は、こうした平安前期の疑問に迫っている。三重県立斎宮歴史博物館の学芸員である著者の知識や解釈が、本書には凝縮されている。あまり歴史系の書籍になじみのない読者にとっても、新書らくし理解しやすい内容となっている。


書籍名:謎の平安前期
著者名:榎村寛之
出版社:中央公論新社(中公新書)