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ヒトラーの馬を奪還せよ(アルテュール・ブラント/安原和見訳)

欧州美術界が抱える深い闇に迫る一冊。

最近も、英国ロンドンに位置する大英博物館から貴重な品々が盗難されるという事件が発生し、盗難美術品というのが麻薬や武器に匹敵するほど世界の裏経済を支える商品の一つとなっていることが明らかになった。美術品の盗難に対抗するため、世界の警察は昼夜を問わず捜査を続けている。それに加えて、美術専門の調査を行う「美術調査員」の存在も知られるようになり、彼らの尽力によって失われた作品が見つかることもある。

本書で取り上げられているのは、そうした美術調査員の中でもオランダ出身の一人の調査員が遭遇した奪還ミッションである。この調査員が直面したのは、ナチス・ドイツの時代にまつわる類稀なる美術品で、その過程は緊迫したものだったという。著者は実体験を基にフィクションのようなスリルとテンポを持って物語を紡ぎ出している。信じがたい出来事が次々と明らかになるが、現実は時として想像を超えるからである。

標的となったのは、ナチス時代に総統官邸の前に立てられていた彫刻「闊歩する馬」である。アドルフ・ヒトラーが寵愛した彫刻家、ヨーゼフ・トーラックに依頼して作られたこの馬の像は、当時の権力を示すものとして重んじられていた。多くの人々はベルリン陥落の際にこの彫刻が破壊されたと考えていたが、実はそうではなかったようである。

本書によれば、70年以上が経過した後、この彫刻は裏市場で取引されている情報が著者に届く。当初は偽物だと考えられていたが、詳細な調査を経て、彫刻が秘密裏に移されていたことを確信するに至る。著者はアメリカの富豪の代理人を装い、販売者と接触を図ると同時に、彫刻に絡む政治的、経済的背景を深く掘り下げていく。

彫刻の行方を追う中で、KGBやシュタージ、ナチ残党やネオナチ、さらには彼らを後押しする秘密結社や西側諸国の富豪たちが絡み合う複雑な状況が浮かび上がる。戦後から現代に至るまでの欧米社会の裏側が、失われたナチ美術品を手がかりに解き明かされるのは興味深い展開である。美術品は我々の終わりなき欲望を映し出す象徴であり、それがもたらす危険性は計り知れない。


書籍名:ヒトラーの馬を奪還せよ
著者名:アルテュール・ブラント(安原和見訳)
出版社:筑摩書房