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洞窟壁画考(五十嵐ジャンヌ)

五十嵐ジャンヌ氏の探求心は、美術の最も原初的な表現である洞窟壁画へと向かったという。この洞窟壁画は、約4万年から1万4500年前に描かれ、西ヨーロッパ各地で発見されている。フランス留学を経て、著者は多くの洞窟壁画が息づく遺跡へ足を運び、人間が美への情熱をいつから抱きはじめたのかその秘密の扉をこじ開けようと試みている。

『洞窟壁画考』には、著者がこれまでに培った知識、洞察、そして未解明の問いが凝縮されている。壁画に込められた多種多様な象徴やその描画技術、使われた素材、創作の動機から、それらが生み出された社会環境や壁画が未だに保存されている自然との調和など、深いレベルで分析を試みている。

歴史的な研究を土台に立つ調査は、これまでの定説にも疑問の光も投げかけ、美術史だけでなく考古学、文化人類学、生物学、心理学、社会学、宗教学など、多方面にわたる分野との相互作用の中で膨らみを見せている。この知識の網の目から、一人の研究者の幅広い視野と探究心の深さがうかがい知れる。

それでは「美術の起源」がいったい何なのか?現在のところ、この問いにまだ明確な答えを出すことはできないようだ。読者としては消化不良に感じてしまうかもしれない。ただし、この消化不良は冒頭部分で読者に提示されている。

そもそも、洞窟壁画が何千年もの時に耐え今に至っていること自体が奇跡といえる。岩石のような風化に強いものに刻まれたものならともかく、脆弱な素材に描かれたものが時間とともに消えていくのは宿命である。これらの太古の芸術作品と真摯に向き合い、想像力を総動員して推測を立て、検証し、修正を重ねていくという研究のプロセスが真相に迫る旅路となる。

そうした未解決の問いを抱えつつ、探究のプロセス自体に大きな価値があることを読者は感じることができる。本書の最末尾で、「人の判断基準には、今できること、今考えられること、遠くを見据えることがあると思う」と語っている。美術の起源をたどる過程を通じて、美術の未来像へと続く道が見えるのかもしれない。


書籍名:洞窟壁画考
著者名:五十嵐ジャンヌ
出版社:青土社