YOMEBA

読書のおともに

※ 当ブログはAmazonアソシエイトを利用しています

災禍の神話学(沖田瑞穂)

沖田瑞穂氏の著書『災禍の神話学』は、古今東西の様々な神話を通じて、現代が直面する様々な災厄とそれらに纏わる物語の関係を深く掘り下げている。この作品は、地震、戦争、疫病といった災害をテーマに据えており、これらがいかに物語化されるかを分析している。著者はインド神話の研究者であり、その知識を活かして現代における「神話」という概念が果たしている役割について新たな解釈を提示している。

「安全神話」「不敗神話」「土地神話」といった表現は現代社会でしばしば耳にするが、これらは突発的な事象の前後に結びつけられ、その原因や影響を説明する際に用いられる傾向がある。しかし、それらはしばしば実態を伴わない抽象的なものであり、浮ついた言葉の使用は混乱を招くこともある。こうした背景の中、『災禍の神話学』は明確な理論的基盤のもとに神話を「聖なる装置」と定義し、世界を理解するために人類が用いてきた重要なツールであると論じている。

神話とは、単なる神々の冒険譚ではなく、それを通じて人々は歴史上繰り返される戦争や自然災害などの体験を普遍的な物語へと昇華させ、共有することが可能になる。これにより、苦痛を緩和し、自覚を促す機能を果たすものと考えられる。神話はまた、戦争や自然災害といった過酷な現実に直面した際の一種のコンセンサスを提供する。それは、試練に対する共感や共有の基盤となるのである。

だが神話が描く世界は、時に理不尽で残酷であることが多々ある。特に戦争にまつわる神話では、人間社会のダークサイドが如実に表れている。例えば、インドの叙事詩「マハーバーラタ」は、人口増加が原因で起きる地球の負荷を戦争で軽減するという発想に基づいている。このような神話が示すのは、文化や歴史を通じて争いや衝突が絶えず生じてきたという現実であり、土地や資源へのアクセスを巡る競争が続いていることを教えてくれる。神話は加害者や被害者が特定されることなく、暴力や道徳の欠如をも含む多面的な物語を紡ぐため、これを通じて社会の問題点を内省する契機を与える。

戦争の神話に残酷さが内包される理由は、作者の不在にある。神話は個人の創作物とは異なり、厳然たる批判を受ける存在ではないため、社会的・道徳的なフィルターを超えた物語を紡ぐことができる。そして、神々による戦争は新たな秩序を築くためのプロセスとして描かれることもある。『災禍の神話学』はこれらの点に光を当て、古代の物語が現代社会においてもなお息づいていることを実感させる作品といえるだろう。神話学を深く掘り下げ、現代の災禍に光を投げかける試みは、多くの読者にとって新鮮な視角を提供する。


書籍名:災禍の神話学
著者名:沖田瑞穂
出版社:河出書房新社