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列(中村文則)

中村文則の作品『列』が焦点をあてるのは、世界や他者との矛盾した関係性――俗にいう「不条理」というテーマだ。文学的な前例として、アルベール・カミュやフランツ・カフカ、安部公房などがこの哲学的概念を探求し、その全人類共通の問題を描き出した名前が挙げられる。

この『列』においても、中村文則は不条理という文学の伝統に倣いつつ、独自の解釈と洞察を加えている。作品は三部にわたり構成されており、振り返ってその展開を看るに、第一部では行列にただひたすら参加する一人の男性を軸にした物語が展開される。男が列に加わった経緯やその目的については一切明かされないまま、情景のみが描かれる。不可解ながらもそこにはどこか共感を誘う不安と疑問が渦巻いている。そして謎めいた列はただ一つではなく、見えない始端と終端に挟まれながらも複数存在することが暗示される。

そんな中で第二部では話は一転し、猿の行動学に携わる非常勤大学講師という芸術的にも哲学的にも特異な視点を持った男性が語り手となる。彼は猿と人間の比較を通じて、知性や悪、道徳などを柱に人間存在の本質を深く究めようとする。

そして最終章にあたる第三部では、再び列をめぐる話題へと舞台は移る。ここに登場するのは先の猿研究者で、彼独特の生き様を通じて、夢と現実の境界や人間の理性、共感、道徳性といったテーマが問い直される。どうして知識を備えた人類は愚かにも争いを起こし、戦争という形で同胞を傷つけるのか、という根本的な問いかけには、答えよりも新たな疑問が生まれる。読者それぞれの胸に突き刺さる、中村文則独特の文学的素朴さがここにはある。

列、行列、人々はそれに組み込まれる。消費社会においては、行列こそが需要と供給のバロメーターたる現象ともなり得るが、『列』に登場する行列はもっとメタファーとしての役割を担う。そこには無常にして限りある人生が象徴され、人々は見えない死に向かって確実に進む。この大行列から抜け出すことも、また無駄と感じることもできるが、最終的には人はまたどこかの列に加わってしまうのではないか。

『列』を汲む中村文則の文筆には、しばしば「悪」というテーマが顔を出す。このような重たいテーマ性が現代文学の世界で頻繁に取り上げられることは少ないが、それだけに作者の取り組みは特筆すべきものであり、その真摯な姿勢が感じられる。

最終的に私たち人間は、常に合理的に、条理に従って生きることができるわけではない。フョードル・ドストエフスキーが『地下室の手記』で指摘した通り、人間には謎がある。そして中村文則はその謎への鍵を文学という形で私たちに示しているのだ。


書籍名:列
著者名:中村文則
出版社:講談社

 

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