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もっと悪い妻(桐野夏生)

日常の中で、「恐妻家」というフレーズを仲間内で冗談めかして口にする光景は珍しくない。その笑いの裏側には、家庭内での役割や関係性に対する社会的な共通認識が隠されているのだ。例えば、家事に精を出さない、料理が上手でないといった理由から悪妻と評される場合があるが、真実はそうとは限らない。多くの奥様方は、家庭を支えるため、子育てに忙殺され、ついには経済的な負担にも直面している。にもかかわらず、一部の夫たちは事実を大げさに伝え、妻の評判を損なうことがある。特に『もっと悪い妻』では、夫ではなく、友人たちがそのような話題を提供し、その結果、夫婦関係はギクシャクしていく展開が描かれている。

それに対して、不倫を続ける妻の描写もある。彼女の行動には悪妻というレッテルは貼られず、夫はこれを容認し続け、彼女もまた家族をより一層大切に思うようになる。これは愛とは何か、そして夫婦の間の信頼関係を問う重要なテーマである。

しかし、果たしてそもそも「悪妻」という言葉自体が適切なのだろうか。男性側も、自らが理想とする恋愛や結婚生活に固執し、そのために女性を苦境から救う王子様と自認する場合が少なくない。桐野夏生の他の短編では、中年男性や高齢者が、自分との関係を通じて他者に幸せをもたらすと強く信じ、相手の状況や感情をよく考慮せずに行動に出る様子が描かれている。これらの男性たちにとって、妻はあくまで自分の幸せを分け与え、支えるべき存在に過ぎないとの認識が強いのである。妻が自立した個人として存在し、意見や行動が夫と異なる場合、彼らは理解しようとせず、排除するか無視を選ぶことがしばしばだ。そんな彼らが真に「いい夫」と呼びうるのかについて疑念を抱かざるを得ない。

結局のところ、結婚生活の行く末において、妻が「悪妻」とみなされるか、「良妻」と評価されるかは、夫がいかに理解ある配偶者になれるかに大きく左右されるのではないだろうか。男性側の自己認識や行動の見直しによって、関係性は変わり得るという点を、本作は強く示唆している。


書籍名:もっと悪い妻
著者名:桐野夏生
出版社:文藝春秋