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数学者たちの黒板(ジェシカ・ワイン/徳田功訳)

ジェシカ・ワイン『数学者たちの黒板』は数学という抽象的概念を、実際の板書という具体的イメージを介して紐解く一冊。コンピュータの普及により様々な技術が飛躍的に進化した現代においても、黒板は数学者の必需品であり続ける。この書籍では、テレンス・タオのように数学界で輝かしい功績を残す計109人の数学者たちが、黒板というメディアを使い、複雑で深遠な数学の概念を視覚的に表現している。本の構成は一貫しており、各数学者の作品が右ページに収められ、左ページにはその数学者が数学についての解説と黒板への愛情を語る。

書評家で数学の普及に尽力する筆者は、数学が目に見えない概念であるがゆえに、人々にとって理解し難い存在であると痛感している。一般の人々に数学を理解しやすくする取り組みは容易ではなく、むしろ専門家であってもその困難さを認識している。記号や数式は数学の真髄を表すには不十分であり、本質はそれらの記号の背後にある抽象的概念にある。この目に見えない数学が、見える現実の世界を解明するためのツールとなり、人々の社会に影響を与え、変革さえもたらすことがある。

数学がいかに奥深く、理解されにくいかを、『数学者たちの黒板』は鮮やかに映し出している。本書がその困難な課題に立ち向かい、かつ成功を収めた理由の一端は著者であり写真家であるジェシカ・ワインの存在にある。彼女がカメラを通して捉えた黒板の写真たちは、数学という分野の本質を、数学書には表れることのない生々しさで伝える。あたかも写真家が被写体の持つ独特のエッセンスを引き出すように、ワインは数学者たちの筆跡や思考の流れが映し出された板書を読者に提示している。

これほど黒板にフォーカスを置いた書籍はそう多くない。従来、黒板は数学者たちが仕事をする際の背景に過ぎず、注意を引くことはほとんどなかった。しかし、本書には数学者自身の肖像が描かれることはなく、それどころか、ワインが特別に依頼した黒板の板書のみが収録されている。これは、写真家がモデルたちの内面や感情を引き出す技術と同様に、著者が数学者の脳内の風景を読者に可視化して見せる工夫と言えるだろう。

本書の最後には、全部で109もの板書を丹念に撮影し、紹介することによってワインが数学に対して抱く強烈な熱意と、その情熱が或る種の結晶として後書きに表されている。「数学とは何か」という問いかけに対する答えが、後書きで明確にかつ的確に述べられ、「数学者たちの黒板」を通して数学に対する理解を深める手掛かりが示されている。

結局のところ、この書籍はただの学術書に留まらず、絵本のような魅力を持っており、読む者を難解で未知の数学の世界へと導きながら、同時に数学者たちの深い思索の跡を垣間見せて感動を覚えさせる。読者は数学者の思考プロセスや、彼らが抱える情熱をこの一冊で共感する機会を得るだろう。


書籍名:数学者たちの黒板
著者名:ジェシカ・ワイン(徳田功訳)
出版社:草思社