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ドーピングの歴史(エイプリル・ヘニング/ポール・ディメオ/児島修訳)

運動能力を人工的に高めること、それがドーピングである。一般には体内への薬物注入として認識されているが、事実はもっと複雑だ。『ドーピングの歴史』ではその複雑さを克明に解き明かしている。著者たちはスコットランドの大学でスポーツ科学に長年携わる研究者であり、彼らが見たドーピングの歴史は一世紀を超えその深淵を垣間見せるものだ。

過去には単に選手の身体を守るためドーピングが悪だとされていたが、現代では競技の公正性を損ね、スポーツマンシップに反する行為として否定される。とはいえ、アスリートたちには非常に煩雑なルールに従う義務が課されている。彼らはWADAの厳格な規則下で、常に自己の居場所を報告し続け、その生活はまるで「有罪判決を受けた犯罪者に匹敵する」ほどの監視を受けている。しかし、この監視体制の厳しさが本当にスポーツの公平性を保つための最善の方法なのかと疑問を呈するのが、この書籍の一つの論点である。

かつて1904年のセントルイスオリンピックの時代にもドーピングが存在したこと、1988年のソウルオリンピックでのベン・ジョンソンの事件や、近年明らかになったロシアの国家支援によるドーピングの隠蔽など、歴史的な事件が随所に引用されている。こうした長い歴史を持つドーピング問題に対し、著者たちは単純な禁止から一歩進んだ議論を展開する。

一方で、禁止薬物と知らず普段使いのリップクリームや育毛剤が原因で厳しい処罰を受けた事件など、ルールの厳格さが逆に選手の正当な権利を侵害しているケースも指摘されている。薬物検査官が予告なしに私宅を訪れるような現行の制度も見直しを求める声がある。そして、地域ごとに整備された検査センターがより公平かつ実効性のある代替案として提案されている。

本書では国によって異なる検査体制が言及され、それらがスポーツの世界での公平性を阻害していることを指摘し、アスリート可否意見を踏まえた新たな検査システムの構築を提言している。そのためには、アスリートとの率直な対話が不可欠であると著者は訴えかけている。また、ドーピングが一概に悪とされる現状を見直し、より柔軟な視点からアプローチする必要性も訴えている。こうした多角的な議論がこの書籍の核心をなし、禁じられた行為がもたらす問題について深い理解を促している。


書籍名:ドーピングの歴史
著者名:エイプリル・ヘニングポール・ディメオ(児島修訳)
出版社:青土社